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2004年12月23日

●帰国

本日夜無事帰国。フランクフルト経由で帰国したわけだが、フランクフルトでの除雪作業と滑走路の混雑で離陸は2時間遅れ。帰宅は10時前までずれ込んでしまう。だが、遅延のおかげで時差ぼけが少ない。独時間の午前2時頃に眠り、日本時間午後2時頃眼をさます。これで正味4時間の睡眠を取ったことになったわけだし、寝過ぎたわけでもないので、今晩もこれから眠ることができる。
ミュンヘンに7日間滞在したわけだが、それでも見尽くせない感じ。これはもう住むしかないのかもしれない。
旅行中のことはその日付へ今後加えていく予定。

2004年12月22日

● ミュンヘン最後の昼

IMG_0293.jpg

ミュンヘン最後の昼食は、マリエンプラッツを下ったところにある地元色の強いレストラン。あいにく席は満席だったが、相席なら可能ということで、体格のいい男が座るテーブルに案内される。向こう正面が男。そして、こちら側に二人で座る。挨拶をして座るのだけれど、やはり相席というものには慣れない。三度目なのだが。もちろん、それは言葉が通じないから、という理由が70%を占めるのだけれど、それ以上に、相席という事態に慣れていないからということもある。一体東京で相席になるということがあるだろうか?おそらくそんなことは一つの店で一年に一度あるかないかの出来事に違いないのである。それでも、僕が小さい頃には何度かあったけれど、人間関係が希薄になったここ十数年においては、一度もあり得なかった事態。
それでも、彼(に代表されるミュンヘン市民)は相席を気にすることもない。僕がビールを飲み始めると「Prosit」といってくれるし、スープを飲み始めようとすると(それは、バイエルン料理のスープで、コンソメスープにコクのある黒パンがちぎって浮いているというもの)、ちゃんと「Bon Apetito」といってくれる。ウェイターがなかなか現れないという、彼と共通の悩みを持ったときも、目を合わせて、「困ったもんだね」みたいな、意思疎通をする感じで、少々うれしい。ちなみに、彼は鳥の丸焼きを一羽平らげてから、甘いクレープを一皿ぺろりと食べて、スポーツ新聞を悠々と読んで帰っていた。

●ミュンヘン路面電車あれこれ

tram

ミュンヘンの路面電車に1週間乗り続けたわけだが、日本ではほとんど乗る機会のない公共交通機関だけに、あらゆるものが新鮮。

ダイヤに忠実に走ることができないトラムのポイント切替はどのようにやっているのだろうか?と疑問に感じる。おそらく運転手がポイントにさしかかるたびに手動で切り替えているに違いない、と、運転台の後ろに立って、運転の模様を観察したわけだが、どうやら手動で切り替えているに違いない、という結論に達する。

TramSwicth

この画像のようなスイッチとインジケータが運転台の右側に設置してある。運転手によってはこのインジケータに右手を添えて運転をしている。上段中央のスイッチは、ウィンカーを操作するスイッチ。自動車のウィンカーと同じく、進行方向のオレンジ色のランプを転倒させることができる。道路を走っているわけだから、当然といえば当然だが。

下段中央がポイントの切替スイッチと思われる。以下のような手順でポイントを切り替えている模様。

  • ポイント近くになると、ブザーが転倒する。
  • 運転手は下段のスイッチを操作する。
  • 前方のポイント切替を示す信号機が変わる。信号は以下のような感じ。 TramSwicth
これで、一つ謎が解けたというわけで、一安心する。

2004年12月21日

●ドイツ博物館

今朝も良い天気。ドイツ博物館に出かける。この博物館は1906年に作られているのだが、起工式にはドイツ皇帝ヴィルヘルム二世が招かれている。ということは、ドイツ帝国の国家事業としてつくられたということ。日本においても上野に国家事業としての博物館がいくつか建てられているわけだが、ドイツにおいても同じような動きがあったということ(このあたりの事情について引き続き調査をすすめる)。

我々も相当疲れていたのであり、残念ながらこの巨大な博物館の全体を見るまでには至らなかった訳なのだが、航空機部門の展示を中心に見て回る。

Guidetour

ドイツの垂直離着陸機VJ-101C-X2は、F104スターファイターの改造型である。そもそもF104の主翼は短いのだが、その短い翼の両端にジェットエンジンを装着している。また運転席の下にも排気ノズルを見て取れる。結局実用化されなかったのであろう。ハリアーのような華々しい人生を送るというわけにはいかなかったということ。

Guidetour

また、注目するべきは、日本軍は終戦末期に秋水というジェット戦闘機を実用化しようとしたわけだが、そのモデルとなったメッサーシュミットMe163が展示されていたこと。ずんぐりとしているが小さな機体で、車輪は後に一つ付いているのみで、前方に橇がついているだけ。この戦闘機はジェット機とされているが、実体としてはロケット機とでもいえるものだったようだ。航続距離も短く、おそらく数分間しか飛行できないのではないか、とされている。連合軍の重爆撃機を一撃必殺で攻撃するための、敗軍のあがきとでも言えるような機体であると言える。

Guidetour
飛行船の展示も興味深い。飛行船メーカーを創立したグラーフ・ツェッペリンの写真も展示されている。写真の彼がツェッペリン伯爵である。飛行船や飛行艇は、飛行機におされて衰退した技術。ノスタルジーを感じざるを得ない。日本は飛行艇の技術に置いては世界屈指とされているのだが、救難救助艇として使われているのみ。離島の珊瑚礁を壊すぐらいならば、飛行艇で旅客輸送をすればよいのにと思うのだが、公共工事としては空港を造った方がいいわけで、自ずと空港を造る方にベクトルが向いていく。飛行艇が活躍するような場はなかなか回ってこない。良い技術が採用されるわけではなく、儲かる技術が採用されていくという良い例。ミュージアムショップでも飛行艇の美しい絵はがきがあったので、ついつい購入した。

Guidetour
「グッバイ・レーニン」で、東ドイツ最初の宇宙飛行士であるSiegmund Jaehnが取り上げられたのだが、ドイツ人宇宙飛行士のコーナーにきちんと写真が取り上げられていた。彼は1978年8月26日から9月3日まで7日間にわたってソユーズ31号、29号で宇宙ステーションサリュ−ト6号を訪れたとのこと。東ドイツ空軍の将校だった模様。1937年生まれだから、飛行当時は41歳で、いまはもう67歳。「グッバイ・レーニン」のなかでは、彼のそっくりさんがタクシー運転手をしている、という設定になっていて、東ドイツ、あるいは東ドイツ的なものの凋落を象徴するエピソードとして描かれていた。

ドイツ博物館を後にして、市街を散策。ヴィクトリアンマルクト界隈の路地裏の居酒屋風レストランで昼食。相席になった叔母さんとビールを乾杯する。彼女はソーセージを肴にビールを飲み、編み物をしていた。40歳ぐらい?

2004年12月20日

●ニンフェンブルク城

昨夜の雪が嘘だったかのように、空は晴れ渡る。けれども地面にはまだ雪が残る。ZDFによればミュンヘンは14センチの積雪だったとのこと。今日の気温は零度以下の真冬日。

「○○の歩き方」によればニンフェンブルク城の開館日は冬季は火曜日から日曜日とあったので、今日はもしや閉館ではないかと危惧をして、中央駅のインフォメーションで尋ねてみると、そんなことはなく、今日もあいているとのこと。早速中央駅北のトラム停留所からニンフェンブルク城へ向かう。ミュンヘンの街は積雪のあるまま快晴地帯に突入したわけで、太陽の光に照らされて雪がギラギラと輝いている。ほとんど真夏のような明るさ。ただし太陽の光は真夏の夕方といった風情。そして、気温はおそらくマイナスで冷気が頬を刺すのである。中央駅からつづくドイツ鉄道の操車場を眺めながらトラムは走る。ドイツ・ポストの集配場やメルセデスの大型販売店などを眺めながらしばらく走る。

Romaplatz


16番のトラムの終点地であるローマ広場を通り過ぎる。トラムは右側に乗降口があるのみで、運転台も前方に一つあるのみ。従って、ふつうの列車のように前後に動くわけではなく、終点で転車施設が必要なのである。ローマ広場には、広場の中に円形に線路が敷かれていて、終点に到着したトラムは広場をぐるりと回って反対側の線路に向かうという仕組み。上の地図にも赤いトラムの軌道が円形に敷かれているのが分かる。確かに円形の線路を引くというコストはかかるだろうが、各車両に運転台や乗降口を一組作ればよいと言う意味では、コストがかからないわけで、考え方としては納得できた。そういえば、27番でピナコテークへ向かう途中のカロリーネン広場でもオベリスクの周りを回る線路が敷かれていたわけである。

TramRight
右側にはこのように乗降口があるのだが、

TramLeft
左側には乗降口はない。


Guidetour
ニンフェンブルク城は雪が積もっていたおかげで、いつもとは違う風貌を見せている。屋根は本来は茶色なのだが、雪が積もっているので全面銀色で、これは本当に美しい風景。銀色に輝いているといっても過言ではない。かえって雪景色を観ることができて幸運であった。

ニンフェンブルク城の内部は、ヴィッテルスバッハ家の夏の離宮として使われていた当時の雰囲気を見せる程度。中央広間の豪華さは特筆するべきだが、そのほかはレジデンスと似たような感じ。飾っている絵も、やはりその程度のもの。美人画ギャラリーはまあインテレザントといった風。それ以上に興味深いのは、ルートヴィヒ二世の晩年の写真。日本で喧伝されているルートヴィヒ二世の写真は美青年系のみで、もちろんヴィスコンティの映画の影響もあるのだが、美を希求した狂王は死ぬまで美青年であるというイメージで取られがちだと思われる。ところがここにあるルートヴィヒ二世の写真は、不摂生がたたり太った姿である。面長の顔はどこへやら、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフぐらい老け込んだ感じ。

Guidetour


ニンフェンブルク城からの帰り道、こんな看板を見つける。スケート、橇は分かるけれど、カーリングだなんて。

●バイエルン州立歌劇場「ボエーム」

バイエルン州立歌劇場12月20日の公演は「ラ・ボエーム」である。このオペラには縁があってこれでもう4度目になるけれど、繰り返し見れば見るほど、いろいろわかってくる。

幕が開こうとする時、劇場側からの説明がある。ミミ役のHaraterosが病気のため降板し、代役を捜したがなかなか見つからなかったとのこと。ようやくアルメニア出身のHasmik Papianの出演がきまり「空港からタクシーで」ようやく到着して、やっとのことであわせた、とのこと。Haraterosの評判がよいことを知っていたので少々残念。しかしながら、この代役のPapianも力の強い声で圧倒される。オケにも負けない強い声。もちろん力強いミミだったのかも知れないが、それはそれでミミとして良いミミ。「私はミミ」も絶好調。

ロドルフォは、声のポートフォリオをつけていた。時にオケにかき消されたり、ミミの尻に敷かれたり。もちろん大きな不満はない。

のっけからのけぞってしまう。マルチェッロのガントナーの声の良さといったら…。まるで声を触って確かめることができるぐらいリアリティのある声。コルリーネのHumesもイイ声。やはり日本人とは根本的に体のつくり(ひいては楽器のつくり、歌手の体を楽器に喩えるとするなら)が違うと言うこと。致し方ない。

ベノワのKuhnも、性格俳優的ないい声。こちらもさわれそうなぐらいリアルな声で感動する。脇役なのにこういういい方が出演されているのがすごくて、層の厚さを感じる瞬間。

オットー・シェンクの演出は、もちろんオーソドクスなもので、特に問題はない。ただ、この演出どこかで観たことがあるなあ、と思っていたら、東京のボエームの元ネタなのではないか、ということに気づいたのである。ロドルフォとマルチェッロの部屋の作りが二段になっていたり、第二幕では、ムゼッタに男が群がったり、最終部で軍楽隊と一緒にムゼッタを肩に乗せて消えていったり、とか…。こちらのほうは建物は動かなかったけれど。

指揮者のArmiliatoは暗譜で通している。全体にゆっくりしたスピードで謳わせようとしている感じ。その意図はアンサンブルにおいては全く問題なく機能していて、四重唱最終部をフェルマータさせるあたりは、四人の声の良さや和声自体の美しさをきっちり拡大して見せることに成功していたと思う。あえていうならば、合唱をきっちり掌握できていなかったのが残念。合唱は声は良いのだが、指揮についてこれていなかっただろう。

それにしても、このオペラは良くできている。恋愛あり失恋あり別離あり。そしてなによりもその音楽の美しさと力強さ、若々しさ。悲しい場面でまるで淡い思い出のように登場する楽しいときのあの旋律。第三幕の荘厳な盛り上がり。最終幕の終わり方は少しあっけないけれど。







sq配役種類名前
1Musikalische Leitung-Marco Armiliato
2Inszenierung-Otto Schenk
3Orch-Das Bayerische Staatsorchester
4MimiSopranoHasmik Papian
5MussetaSopranoMargarita de Arellano
6Rodolfo, DihetertenorTomislav Muz(v)ek

2004年12月19日

●バイエルン州立バレエ「眠りの森の美女」

STAATSBALLETの「眠りの森の美女」を見に行く。なんでもオペラよりもバレエのほうが来ている客層が高いのではないか、という情報をゲットしていたので、少々ドキドキしながら向かう。この日は雪が降っていたので大変。連れ合いは靴にたいそう困っている。つまり、雪が降っている中でしゃれっぽいサンダルを履くわけにはいかない、というのだ。当然といえば当然。ほとんど素足で雪中に立つわけにもいくまい。

クラシック・バレエを見るのは初めてだったのだが、これは思ったよりもすばらしい。これまで食わず嫌いをしていたわけだが自らの不明を恥じるばかり。バレエというのはオペラ以上にダンサーの動きや衣装といった視覚的表現が重要であるわけで、オペラとは違う美的な空間が立ち上がっている。特にしなやかな手の動きは、彫刻や絵画は勿論音楽や文学が表現し得ない人間性の表現である。人間が体を動かして直接的に美を表現しているということ自体に驚きを覚える。

極めつけは、ワルツのシーンで、ここまでの美的空間を作り上げる事ができるのか、と、人間の力の大きさを改めて感じる。もちろんこの美的空間の裏には人間のエゴや嫉妬心も隠されているはずなのだが、そうしたものを露も見せずに美的空間が顕わになっていることへの驚きである。美的空間は確かにここに拡がっている。少なくとも「私」にとってはそれは揺るぎない真実であって、その奇跡的な事態に感謝の念すら覚えるわけである。その裏に隠されているエゴや嫉妬心、あるいはたとえ犯罪が隠されていたとしても、それとは全く関係なく美は存立している。残念ながら。エゴや嫉妬心、あるいは犯罪でさえも括弧に入れてしまう力を美は持っているということ。美はほとんど無限な力をもつことができるということ。逆にそうした美の力をきちんと理解しなければならないということ。

さて、舞台が終わり、ロビーに出ると、ドイツのおばさま達がロビーのソファに座って、なにやらゴソゴソとやっている。ああ、靴を履き替えているのだ、と気が付く。みなサンダルからブーツに履き替えているわけだ。なんだ、みな考えることは同じだなあ、という感じ。