●音楽と歌詞
昨日「オペラのきき方」などということを書いてしまったが、それを読み返してみて、常々考えていることが頭の中に浮上してきた。昨日の「オペラのきき方」は、旋律至上主義的だなあ、と思ったから。
僕は歌詞を聞かずに音を聞いていることが多いなあ、ということ。これはオペラに限らず、歌謡曲、ポップスなど含めてジャンルを問わずにそうなのである。逆に歌詞が入っているのが窮屈に思うこともしばしばで、だからジャズ・フュージョンにおいては、インストの曲を好むのだなあ、とも思う訳である。
紅白歌合戦で、一年に一度J-POPをきくのだけれど、そのときの僕の中での曲の良し悪しの基準は絶対に歌詞ではない。アレンジとか、リズム、ベースライン、コード進行を聞いている。カラオケにいっても同じで、特に、他の人が歌っているときはその傾向が顕著。「この曲、歌詞がいいんですよね〜」とか、よくラジオのDJが言うけれど、そういうのには今ひとつ共感できない。
(自分が歌う歌は違ったりするところが自分勝手なんだけど。ちなみに、歌う曲はやしきたかじん。洋楽もよく歌うけれど、歌詞の意味はわからずとも良くて、曲が良いから歌っているだけ)
ということは、僕は歌声さえも楽曲における楽器の一つとして処理している可能性が高い。オペラの場合もそうで、イタリア語の発音がよい、とか、ドイツ語の発音がよい、とかはよくわからないけれど、声の良さ(特に欧米人の声の倍音の美しさなど)には激しく共感できる。もっと極端に言えば、あらすじさえもわからずともよくて、音楽さえよければそれでよい、とまで押し進めてしまうこともできる気がする(そこまではさすがに行くことは少ないけれど)。これは、おそらく、ドイツの絶対音楽をきき過ぎたからかもしれない。
昔から、「このフレーズはカッコウの鳴き声で、このフレーズは小川のせせらぎ」みたいな、小学校の教科書に書いてあるようなことはあまり好きではなかった。曲として統一がとれていて、全体が良ければ良いじゃん、みたいな、そういうことをずっと考えていたなあ。
なんだかとりとめなくなってきたけれど、要は、曲が良ければそれでいいなあ、ということが言いたいのである、と帰結させてしまおう。