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2005年02月06日

●金沢21世紀美術館

Kanazawa

金沢21世紀美術館
http://www.kanazawa21.jp/

今週末は大学の先輩の結婚式出席金沢へ。
本日は金沢21世紀美術館へ行ってきた。この美術館のことは昨年NHKで放映された新日曜美術館でも取り上げられていたので、個人的にとても気になっていた次第。
昨年10月に開館したわけだが、建物自体も実に興味深く、展示物もそれに勝るとも劣らず面白いものが多数。機会があれば是非見に行って欲しいと思います。損はないはず。

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面白かったものをいくつか。

レアンドロ・エルリッヒ 「スイミング・プール」
この作品は、おそらくこの美術館の目玉の一つになるのだろう。有料展示スペースを入ってすぐ、左手の中庭に小さめのプールがしつらえてある。のぞき込んでみると。まあ只のプールなのだが、プールの底に人が歩いているのが見える。このプールは、水面に模した透明な板の上に水を張り、波を創り出してプールの水面を演出する。プールの底と思ったのは、ただの部屋なわけだが、水面の演出とプール底面のブルーの塗装で本当のプールだと思ってしまうわけだ。

ガブリエル・オロスコ「Ping-Pond Table」
このピンポンドテーブルは面白い。蓮の花のように開いたテーブルで卓球ができる。そのフォルムが斬新ということもあるが、真ん中の水槽には浮き草が浮いているのである。これをネットに見立ててプレイをする。勿論、ボールが落ちることもしばしばなのだが、そのたびに拾って水を拭いてプレイ再開。
一緒に行った後輩と一戦交えたのだが、思わず「サーッ」みたいなかけ声も掛けてみた(苦笑)。

その他、いくつか思ったこと。

芸術は良心によって成り立つ面もある。
現代美術は、絵画のように壁に掛かっていて触ることができないと言ったようなものではない。発泡スチロールで作られたフラジャイルなオブジェもあれば、床にガラス玉で形作られた巨大な世界地図のように、立ち入り禁止のロープを超えれば、破壊することが容易なものもある。はかなく壊れれやすいのである。だが、だれもが、ある種の敬意や畏怖をもって、オブジェに対峙し、そこで一線を越えることをしない。
これは、クラシックのコンサートでも同じ事が言える。弦楽四重奏の演奏を破壊するには、携帯の呼び出し音でも十分なぐらいだが、悪意があれば、奇声を発し、壇上に駆け上がることすらできる。だが、そういったことが発生する確率は、飛行機事故が起きるぐらいに低い確率なのである。
つまり、芸術は享受する側の良心(あるいは敬意・畏怖)によって成立しているという面もあるのだ。悪意を持つものにとって、破壊することはあまりに容易なこと。それとは全く正反対である良心(敬意・畏怖)こそが、芸術を成立させる一つの要素になっているのである。


経済効率と無縁な世界
現代美術は衣食住を充足させるという、経済的な面における生きるよすがとはならない。この「経済的」に無意味な空間こそ、大人である我々にとって、社会的に認められた遊園地となりうる。いみじくも、私の後輩は「東京ディズニーランドより面白い!」と感動していたわけだが、それが端的にこの美術館の遊園知的性格を物語っている。衣食住のために労働を強いられている我々にとって、それとは全く無縁の世界である美術館がヒーリングの場となっていることは否めない。
あるいは、そうしたヒーリングによって生気を回復した我々は再び労働へと戻っていく。我々の労働価値の再生産という意味において、現代美術は(あるいは現代美術をはじめとする無用とされるものも)経済的な面においてきわめて高い有用性を有していると言えるだろう。


美術館と市民との幸福な関係
この美術館が金沢という地方都市にあるというアドヴァンテージは、市民との幸福な関係において最も発揮される。
仮に東京にこの美術館があったとして、ここまで市民が訪れる事になるだろうか?情報過多とも言える東京においては、一般の年配の方々がこうした美術館を訪れる機会は少ないだろう。ところが、金沢においては、まるで半紙に垂れた墨汁のしずくのように、その存在は地域社会にとって無視できないものとなる。新聞やテレビも大きく取り上げることになるし、小学校の課外授業や遠足にも取り上げられる。観光ツアーにも取り入れられていたのではないか?(それと思しきバッチを付けた団体を見たのである)。若い人たちはもちろん、子供から年配の方まで、皆が皆楽しんで居たようにみえたのは、あまりに楽観的な印象だろうか?
それは、今回は参加型の展示がきわめて多かったということにあるだろう。ただ見て歩くだけではない。「スイミング・プール」ではプールの底に沈む人を演じるわけだし、「ピンポンド・テーブル」では、卓球を戦う。自動ドアをくぐり、トイレでオブジェを楽しみ、三輪車をこぐ。日常と隔絶した空間で、能動的に働きかけるという楽しさは、年齢に関係なく作用していたようだ。
また、展示コーナの案内係も年配の方々が多かったのも印象的だった。ボランティアだろうか、あるいはリタイアした方々なのだろうか、少なくとも東京のように制服を着た女性ばかりということはないのである。作品の説明係として、風貌から推しておそらく美術系の学校に通っている方々と思われる若い人たちも何人か居て、様々な世代が美術館の運営に関わっているように見えたのである。
美術館と市民との幸福な関係を見出した次第。今後何十年にもわたってこうした関係を維持していくことの困難さを思うと気が遠くなる思いだが、是非美術館側、市民側双方に頑張って欲しいものである。


繰り返しになるが、この美術館に行って決して損はない。好きな方なら、半日、いや一日居ても飽きないと思う。是非足を運んでもらいたい。

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