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2005年02月27日

●ケーゲル/ブルックナー交響曲第9番ニ短調

昨日に引き続きブルックナーを聴く。
ケーゲル1975年の録音なのだが、あらためて聞き直して見ると、これがあのブルックナーの9番なのか?と思うほど個性的な演奏である。実に激しい演奏なのである。9番といえば静かで美しいアダージョというイメージなのだが、ケーゲルの場合あふれ出る激情を正面からぶつけてくる。昨日のブロムシュテットを僕は「直情的」といったけれど、ケーゲルの場合は「激情的」と形容するべきだと思う。オーソドクスなブルックナーという意味ではおすすめできない。しかし同じ映画を別の配役で見る楽しみというものを感じることができる名演なのである。

CD番号だけを書くのも気が引ける。本来ならジャケットの写真を載せたいところだが、現在のところアマゾンでは取り扱いをしていないため、以下レーベル名とCD番号のみ掲載する。
ODE CLASSICS
ODCL1022

2005年02月26日

●ブロムシュテット・ライプツィヒゲヴァントハウス管弦楽団

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(このリンクはブルックナー交響曲第9番です)


ブロムシュテット指揮のライプツィヒゲヴァントハウス管弦楽団演奏会に行く。

メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」の第一ヴァイオリンのフレーズを聴いただけで嬉しくなる。これがドイツ人によって美化された麗しきイタリアの風情。第二楽章はローマ時代の古い廃墟のような荘重な感じ。オケは弦楽部が一糸乱れぬ響きを保ち続ける。

ブルックナーの交響曲第7番は実に直情的な演奏。といってもこの直情的と言う言葉は決してネガティブなものではない。素直に限界まで旋律のテンションをあげていくというやり方。ホルンやトロンボーンの咆吼たるやここまでくれば圧巻であり、すでに言葉で形容する限度を超えているといえる。ブルックナーの交響曲第7番がここまで圧倒的な迫力を持っていると言うことに僕は初めて気づかされたと言っても良いと思う。録音を再生するというやり方ではここまでの認識を持つことができないだろう。それは大音響の迫力といった部分だけではない。例えば、ホルンの細かく豊かな倍音や金管楽器のアンブシェアから発する小さな暖かいノイズなども決してCDでは聴くことはできない。

そうそう、ブルックナーの第二楽章の冒頭、コンサートマスターがフライング気味に音を出してしまったのである。普通なら、眉をひそめてもおかしくはない場面だったのだが、僕はそこで思わず感嘆してしまうのであった。というのも、その音の良さといったら!中低音の深みのある豊かな音。よくぞフライングしてくれた、という感じ。

最後まで聞き終えた感想。ドイツのオケはいい音出すなあ、ということ。そして、ドイツに偏執的な憧れを持つ者として、ドイツ人を見るのは良いなあ、ということ。これに関しては、ほとんど無意味で個人的な感想。

指揮のブロムシュテット氏はNHK交響楽団にもよくいらしているので日本でも有名。1927年生まれとあるから、もう78歳になられるのだ。にもかかわらず、あの長身をスッと延ばして登場する。50代と言われても驚かないだろう。しかも二曲とも暗譜である。感嘆はここに極まれり、といった感じ。ブルックナーが終わったあと、拍手がなかなかなりやまない。ブロムシュテット氏がオケが引き払ったあともう一度登場する。客席は最後にもう一度賛嘆の拍手を送っていたという感じ。久々に良い演奏会に行ったなあ、という感じである。

クロークでコートを受け取ろうと順番待ちをしているときに、物知り顔の二人連れが「緊張感がないなあ」なんていう批評をしていたけれど、僕の経験から言えば、緊張感がないと感じる責任は聴く側にもあるはず。批評をするのは簡単きわまりない。しかもそれがネガティブなものであればあるほど、簡単に疵をつけることができる。批評をする際にはそうしたことまで考えた上で行わなければならない。

2005年02月25日

●チェリビダッケ/ブルックナー交響曲第7番ホ長調

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本当に完成度の高い演奏。このゆっくりとしたテンポには賛否両論があるかも知れないが、僕は両手を挙げて賛成したいと思っているのである。

楽曲に応じたテンポを設定することはきわめて難しい。テンポが楽曲に与える意味が変わってくると言うこともさることながら、テンポに応じた演奏者の技量を考慮しなければならないからである。テンポが速ければ速いほど求められる技量が高くなるのはもちろんであるが、逆に遅ければ遅いほど求められる技量も高くなるのである。端的なことを言えば、管楽器奏者や声楽者は、テンポが遅ければ、それだけ大きな肺活量や循環呼吸といった技術を要求される。しかも音楽的レベルを保持した上で、である。

テンポが遅いということを旨とした上で、この楽曲を演奏する上で、その遅さが成功しているかどうか、であるが、その点について僕は異論を見つけることはできないでいる。チェリビダッケの演奏で僕が注目したいのはグルーヴ感とでもいうものなのだが、このテンポにおいて、そのグルーヴ感が実にくっきりと鮮やかに浮かび上がっているのを感じるのである。特に低弦部のピッチカートにそのグルーヴ感を感じることができるのである。これは、好きな作家の一つ一つの文言を楽しむといったたぐいの、好事家的楽しみと言われてしまうかも知れない。それでも、この楽しみを知ることも音楽を楽しむことの一つに数えてあげても許されると思うのである。

グルーヴ感云々ということを書いたが、もちろんそれだけでこの演奏を評価するつもりはない。テンポの遅さといったが、全般にわたってテンポが遅いわけでもない。テンポは実によく変化する。ある種の絵画作品において、光の当たり方によってその印象が変わるように。

ブルックナーとチェリビダッケの幸福な邂逅によって産み出された高い芸術は、他のブルックナー作品の録音によっても感じ取ることができるだろう。そしてそうした録音が残された幸運を感謝しなければならないだろう。

2005年02月24日

●朝比奈隆/ブルックナー交響曲第7番ホ長調

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ブルックナーの7番を久々に聴いてみる。この盤を選んだのは、先日一席をともにした先輩に、朝比奈氏のブルックナーはどうか、と尋ねられて、いやあ、この盤はいいですよ、と答えたから。数年前に聴いたきりだったのでもう一度検証しようと思った訳である。

それで、聴いてみたのだが、思ったよりテンポが速くびっくりしたのである。朝比奈氏のブルックナーはこんなに速かったかなあ、と。僕がはじめて聴いブルックナーの7番はやはり朝比奈氏の指揮によるもので、1986年頃の演奏だったのだが、もっとゆったりとしたテンポだったと記憶している。NHK−FM放送でオンエアされたのだが、たしか金子健志氏がバレンボイム盤と比べて、こんなにテンポがゆっくりして居るんですよ、みたいな、解説をしていたのを覚えている。

さて、この演奏では、ブルックナーの複層的な音の文様をよく楽しむことができる。個人的にはもう少しテンポが遅い方がそうした文様がいっそう鮮やかになると思うのだが、この演奏でも十分楽しむことができる。ただし、金管部の一部、特にホルンにおいて、技量的な問題が感じられるところがあり、そこだけは少々気になる。

いずれにせよ、ブルックナー愛好家においては伝説的なライブとして評価されることも多い演奏であり、偶然にも楽章間でザンクト・フローリアン大聖堂の鐘の音があたかも啓示のように鳴り響くなど、曰く付きの演奏でもあるので、押さえておくに必要不可欠な一枚であるといえるだろう。

2005年02月22日

●ここ何年か体調が悪い

ここ何年か体調が悪い状態が続いていて、歳のせいなのか、慢性疲労なのか分からないまま過ごしていて、人間ドックをはじめとしてほうぼうの病院に行っていたわけだが、ようやく原因が分かった次第。結局一ヶ月休職して養生することになる。何の心の準備もないままに、ポーンと放り出された感じ。罪悪感もあるし、何をやって良いのか分からない状態でとまどっている状態。もちろん養生するのが主眼なのだが、この歳になって一ヶ月間仕事をしないという状況下に入るということを想像していなかった。僕は自分は仕事から自由でいるつもりだったが、思ったよりも仕事に依存していたと言うことを認識してショックを受けている状態。昼下がりの街を散歩してみたりするのだが、本当に不思議な気分。茫然自失。

2005年02月19日

●寒い雨が降りしきる一

寒い雨が降りしきる一日。午後になって、やっとの思いで外出し、病院へ。その後馬喰横山で知人のライヴへ。この天気で赴く客もそうそういない、と、感謝される。ブラジル系ジャズをボーカル付きで楽しむ。少々飲み過ぎたが、知人とも会えて楽しいひととき。

2005年02月14日

●ラトル/マーラー交響曲第8番

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※画像は国内版です。

マーラーのオペラとも言われる交響曲第8番をラトルが振ったCDが出ていたので購入してみる。国内版は未発売のようだが、輸入盤が某外資系レコード店に山積みされていたのである。数年前にプロムスでユースオーケストラを振っていたのを見たのだが、バーミンガム市交響楽団ではいかに?というところ。

この曲にはひとかたならぬ思い入れがあって、生まれて初めて買ったCDがショルティがシカゴ響を振ったやつで、これを何百回となく聴いてデフォルト音源としているために、いままでこれ以外の音源で良いと思ったものはない。あのテンシュテット盤でさえ灰色のベールがかかったようにぼんやりとしたイメージしか持てない。アバド盤もいまひとつ。ハイティンクやシャイー、クーベリックも聴いたが、どうもいまひとつ。
それで、今回のラトルなのだが、驚いたことに、琴線に響かないのである。いつものように、加速減速がよく効いた演奏。最後の盛り上がりもいいのだが、どうも浸かることができないのである。


原因をかんがえてみたところ、それはテノールにあるのではないか、と思い当たるのだった。ショルティ盤のテノールは、ルネ・コロなのだが、やはりこれ以上の美声はない。第二部の「世界を統べたもう女王よ」の美しさといったら比類なきものなのである。別盤を聴くと、どうしてもここで違和感を感じてしまい、そのまま疑問符を頭の中に巡らせながら終わってしまうのである。

今回もショルティ盤(というよりコロ盤)を越えることはできなかった。残念である。

以下ショルティ盤である。
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