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2005年01月01日

●辻邦生「辻邦生が見た20世紀末」

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辻邦生「辻邦生が見た20世紀末」を、まるでオムニバスでも聞くように、そろりそろりと開いては読んでいる。唯一の時事エッセーといわれているこの本は1990年から亡くなられる寸前の1999年までの10年にわたって信濃毎日新聞社に毎週連載されていたものが収録されている。
気になった言葉をいくつか。

とくに戦後、産学協同という形で産業技術と直結し、急速な技術革新の場になった。事実、産業形態が変わって、情報工学を中心とする新しいシステムに再編成されている。(中略)この変貌した社会の要求に、大学側が理念的にも実際的にも急速に対応できないところになるという論者もいる。学問研究と人格形成を放棄したら、大学の存在理由はなくなる。他方、社会はもっと実学的なものを性急に要求している。矛盾は深刻というほかない。(中略)しかし大学はやはりここで踏みとどまって、根本から「学問とは何か」「人格とは何か」を考える場であって欲しいと筆者は考える。
辻邦生「辻邦生が見た20世紀末」 2000、信濃毎日新聞社 1990年11月16日


もう15年も前の問題なのだが、この問題は今まさに先鋭化している問題。大学は経済的有用性に縛られ始めていて、数値化や効率化といった波がどの大学にも例外なく押し寄せている。少子化という問題と不況と呼ばれる状況が経済性へと否応なしに駆り立てるわけである。それが良い方向に現れていることもあるのだろうが、そうでないこともあるだろう。

※現在が不況であるかどうかは知らない。しかし少なくとも経営者は、今日の状況をみて、ある時は不況と言いある時は好況と言うであろう。



フランス人などは西欧の中でも特に個人主義的であって、個人の自由を生活の基本原理にする。これは利己主義とは違って、自由を大事にするが、社会生活における義務と責任も決して忘れない。日本の集団主義は全体の「和」を大事にするが、時として責任の所在があいまいである。行動の基準も「正しさ」ではなく、集団を支配する「他人の目」である事が多い。しかし本当の「和」は「長いものに巻かれろ」式の事なかれ主義からは生まれない。あくまで個々人が全体の意味を理解して、そこから意志的に選び取ってゆくものでなければならない。

同 1990年12月14日

別に西欧的な個人主義を優れているものとして評しているわけではない。日本的な「和」においても、個々人の意志が必要であるはずなのに、単に「他人の目」が行動規範になったり、「長いものに巻かれろ」といった、意志をおろそかにするような行動が多いと言うこと。
日本の歴史を見ても、皆が皆「長いものにまかれろ」という行動規範に基づいて生きているわけではない。そんな行動規範に基づいていたら、天下を取ることなどできないだろうし、明治維新もあり得ないだろう。

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