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2004年12月21日

●ドイツ博物館

今朝も良い天気。ドイツ博物館に出かける。この博物館は1906年に作られているのだが、起工式にはドイツ皇帝ヴィルヘルム二世が招かれている。ということは、ドイツ帝国の国家事業としてつくられたということ。日本においても上野に国家事業としての博物館がいくつか建てられているわけだが、ドイツにおいても同じような動きがあったということ(このあたりの事情について引き続き調査をすすめる)。

我々も相当疲れていたのであり、残念ながらこの巨大な博物館の全体を見るまでには至らなかった訳なのだが、航空機部門の展示を中心に見て回る。

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ドイツの垂直離着陸機VJ-101C-X2は、F104スターファイターの改造型である。そもそもF104の主翼は短いのだが、その短い翼の両端にジェットエンジンを装着している。また運転席の下にも排気ノズルを見て取れる。結局実用化されなかったのであろう。ハリアーのような華々しい人生を送るというわけにはいかなかったということ。

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また、注目するべきは、日本軍は終戦末期に秋水というジェット戦闘機を実用化しようとしたわけだが、そのモデルとなったメッサーシュミットMe163が展示されていたこと。ずんぐりとしているが小さな機体で、車輪は後に一つ付いているのみで、前方に橇がついているだけ。この戦闘機はジェット機とされているが、実体としてはロケット機とでもいえるものだったようだ。航続距離も短く、おそらく数分間しか飛行できないのではないか、とされている。連合軍の重爆撃機を一撃必殺で攻撃するための、敗軍のあがきとでも言えるような機体であると言える。

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飛行船の展示も興味深い。飛行船メーカーを創立したグラーフ・ツェッペリンの写真も展示されている。写真の彼がツェッペリン伯爵である。飛行船や飛行艇は、飛行機におされて衰退した技術。ノスタルジーを感じざるを得ない。日本は飛行艇の技術に置いては世界屈指とされているのだが、救難救助艇として使われているのみ。離島の珊瑚礁を壊すぐらいならば、飛行艇で旅客輸送をすればよいのにと思うのだが、公共工事としては空港を造った方がいいわけで、自ずと空港を造る方にベクトルが向いていく。飛行艇が活躍するような場はなかなか回ってこない。良い技術が採用されるわけではなく、儲かる技術が採用されていくという良い例。ミュージアムショップでも飛行艇の美しい絵はがきがあったので、ついつい購入した。

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「グッバイ・レーニン」で、東ドイツ最初の宇宙飛行士であるSiegmund Jaehnが取り上げられたのだが、ドイツ人宇宙飛行士のコーナーにきちんと写真が取り上げられていた。彼は1978年8月26日から9月3日まで7日間にわたってソユーズ31号、29号で宇宙ステーションサリュ−ト6号を訪れたとのこと。東ドイツ空軍の将校だった模様。1937年生まれだから、飛行当時は41歳で、いまはもう67歳。「グッバイ・レーニン」のなかでは、彼のそっくりさんがタクシー運転手をしている、という設定になっていて、東ドイツ、あるいは東ドイツ的なものの凋落を象徴するエピソードとして描かれていた。

ドイツ博物館を後にして、市街を散策。ヴィクトリアンマルクト界隈の路地裏の居酒屋風レストランで昼食。相席になった叔母さんとビールを乾杯する。彼女はソーセージを肴にビールを飲み、編み物をしていた。40歳ぐらい?

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