●辻邦生「円形劇場から」
辻邦生全短篇2に所収されている「円形劇場から」を読む。
作家の人生遍歴。都会の大学での勉強にも飽きたらず、海辺の街にも飽きたらず、放浪を続ける詩人。あるとき円形劇場でギリシア悲劇を演じる女優と出会い、探し求めていたものを見つける。それは世界をささえる「美」であった。
プロットだけだと、なにか素っ気ない風情すら感じる。だが、この作品は詩であり倫理学であり美学であり哲学である。
倫理学と美学の狭間に立って苦しみ続けた辻邦生にとって、女優が語るこの言葉が全てを物語っているだろう。
でも、私たちがこの円形劇場に入るのは、決して日常生活や人生の興亡に背を向け、それを嫌悪するからではない、と思いますの。少なくとも私の場合は、そうじゃなかったと思います。私は、かえって日常の暮らしに−−明日の支払いや、庭に植えた花や、遠足の支度や、仕事の段取りなどに心を労するこの日々の暮らしに−−愛着を感じるからこそ、それを、もっと全身から愛しうるように、その意味や本当の姿や一回きりのその生の味わいを、この円形劇場のなかで深めるのだ、と、そう思えたんですの。辻邦生「辻邦生全短篇2」1986、中公文庫 269ページ
そして、その後の詩人の言葉。
夏の豊かな時間があるということが、肺を病むことや、書類の埃りのなかを匍いまわって生きることや、肌の温みを感じることの意味を、一挙に照しだし、私にそれを深く納得させたのだった。辻邦生「辻邦生全短篇2」1986、中公文庫 270ページ
辻邦生の文学は、芸術至上主義では決してない。むしろ、生へ向き合うことを要求する。だが、その向き合うなかにおいて、向き合うことを支え、意味づけるものが、美である、と言っているように思える。芸術だけが美ではない。青い空であったり、甘い太陽の日差しであったり、風に吹かれて草木がカサカサと音を立てる、そのことが美であり、それが生きることを支えている、そんな風に言っているのではないか、と思える。
円形劇場にてである女優は、辻文学に通底する永遠の女性像である。それは、「ある生涯の七つの場所」でのエマニュエルであり、「春の戴冠」のシモネッタである。エマニュエルもやはり「かたちのいい額」を持っていたはずだ。