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2004年05月17日

●デイヴィッド・シックラー「マンハッタンでキス」

cover

別にアメリカが嫌いなわけではないのだけれど、アメリカの地を踏んだことはない。だが、映画を見たり、小説を読んだりすれば、ニューヨークがどんなところなのか、想像することぐらいはできる。だが、想像していたヨーロッパと現実のヨーロッパが違ったように、おそらくは現実のニューヨークも、想像するニューヨークとは違うのだろう。たとえば、バスの色とか、地下鉄の切符売り場とか、飲食店のチップの有無、などなどほんの些細なレベルで想像と現実の溝が深い場合が多い。そんなニューヨークの溝を少しでも埋めようとして、デイヴィッド・シックラーDavid Schickler「マンハッタンでキス」を読む。もちろんこうした実利的な目的のためだけではない。最近は少々重い本を読んでいたので、すこし軽めな、ホッとするようなイイ話系の本を読みたかった、というのも本音である。

軽妙な筆致で映し出す小粋なニューヨーク・ストーリー」と書かれているが、どうしてどうして、そんなに甘い話ではないし、逆に重みのある話だ。構成上短編集ということになっているが、全ての短編集は何らかの連関をもっているから、大きく言えば一冊の長編小説であるとも言える。また、ニューヨークのあるアパートメントを舞台にしているから、グランドホテル形式の小説であるとも言える。若干きわどい倒錯した性的表現があったり(そんなにきわどくはないが)、少々驚く場面もあるのだが、それはそれで必然的な理由があって挿入されたエピソードであることを理解することができる。

何を言いたいのか。おもしろいのだ。実におもしろいのだ。

おそらくは、この本に描かれたニューヨークは現実のニューヨークと似てもにつかないのだろうが、そうであったとしても、ここには真実在を感じることができる。

愛がテーマ?どうだろう?もちろん「愛」も重要なテーマ。でも、それだけではなく、この本で描かれている重要なことは、たとえば「不条理」という語彙で表現することのできる何かである、と思えるのだ。どうしようもない不遡及な不条理な出来事を克服していく過程を、11の短篇が一斉に目指すプロセスのなかで語られているように思える。親族を急に失い、悲しみの底に沈んでいたとして、どうやって生きるべきなのか?どうやって悲しみと向かい合うべきなのか?

親族の死といった問題だけではない。先天的・肉体的な相違点がある人間はどうするべきなのか?いわば「神」から与えられた自分というものをどうするべきなのか。与えられた自分や機会が「不条理」であった場合、どうすればいいのか?

そうした、普遍的な問いかけに答えようとする一つの取り組みである、と思えてならない。そうでなければ、読んだ後ここまで満足するだろうか?

さて、この本を読んでホッとできたかどうか?答えはYESだろう。しかし、思っていたのとは違う意味でホッとできた、ということ。まだまだアメリカにも良心が残っている様だ、と。

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