Sponsored Link

« 辻邦生 「パリの手記(2)」 | メイン | バイエルン州立歌劇場前 »

2003年12月08日

●辻邦生 「パリの手記(3)」

パリの手記を読むと、若い頃の辻先生の思いが伝わってくる。32歳の頃、だから、僕とあまり変わらない年齢ということになる。

パリはリヨン駅について、タクシーでぐるぐると夜のパリを走り回った記憶。アノニムなどこか知らない大都市を走り回っているだけで、ここがパリではないだろう、というエピソード。

どこをどう走っているのか分からないという感じは、全く変なものだ。現実感が全くなく、文字通り、夢の中にいるみたいだ。暗い夜更けの町を、どことも知れず、さまよっているようだ。それはパリだかどこだか、全く見当がつかない。別なところかも知れない。別な所だっていいはずだ。つまり、今の僕には、これがパリだという根拠がどこにもないのだ。

(105ページ)

そして、そのうちに、ここがパリだ、ということが分かってくるのだ。いつものように。

昨年末、ちょうど1年前のことになるだろうか、シャルル・ドゴールからエールフランスバスにのって、辻先生と同じリヨン駅へと向かったことがあった。空港構内の交通事故による渋滞に巻き込まれ、長いあいだまたされながらも、僕は一人でバスの座席に座っていた。隣に、イギリスの老婦人が座っていたが、彼女と話すことが出来るわけもなく。高速道路を通過して、パリの街中に入るのだが、本当にリヨン駅に向かっているのかどうかさえも分からない。唯一の頼りは、隣の老婦人が知り合いとモンパルナスで待ち合わせをしようとしていることぐらい。このバスはリヨン駅経由モンパルナス行きだったのだから。堅牢な石造りの建物が増え、オレンジ色のマグネシウムライトの街灯がに照らされて、車が行きかう大通りを走っていると、突如として大きな広場に出る。そして中央には大きな像が。だが、それは僕の記憶するパリの地図には出てきていなかった。ここが本当にパリなのかどうか、いまだ分からないまま。そして、突然リヨン駅に到着する。ようやく、僕の地図と現実のパリが合致したのだった。


コメントする

(初めてのコメントの時は、コメントが表示されるためにこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまでコメントは表示されませんのでしばらくお待ちください)