Sponsored Link

« ミュンヘン空港への到着 | メイン | 辻邦生 「パリの手記(3)」 »

2003年12月07日

●辻邦生 「パリの手記(2)」

パリの手記 1 

フォーレを聞いたせいか、はじめて、ギリシアが僕のギリシアとして目覚めてくる。これは、僕の、男としてたちうる堅固な主張でなければならない。どのようなギリシアがあっても、僕には何の関係もない。僕のギリシアでなければならない。もちろん、Aがいなければならない。それは僕たちの、孤独な僕達だけの、ギリシアでなければならない。

なんて甘美な文章だろうか。

注目するべきは、「僕のギリシア」という言葉だ。この後、辻邦生先生は三つの原初的な体験により、文学的契機を迎えることになる。

(1)パルテノン体験
(2)セーヌ体験
(3)リルケ体験

このうち、(2)においては、ポンデザール橋上にたって、セーヌの流れるパリの街すべてが「自分のパリであり、セーヌである」という体験をすることになるのだが、この「僕のギリシア」という表現にセーヌ体験への萌芽を感じ取ることが出来るのではないだろうか。

そして、もうひとつ。「それは僕たちの、孤独な僕達だけの、ギリシアでなければならない」という言葉だが、「孤独」という言葉に注目したいのだ。この「孤独」ということは、「戦闘的」でポジティブな「孤独」なのだ。何かを産み出すための「孤独」なのだ。


コメントする

(初めてのコメントの時は、コメントが表示されるためにこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまでコメントは表示されませんのでしばらくお待ちください)