●辻邦生 「パリの手記(2)」
パリの手記 1
フォーレを聞いたせいか、はじめて、ギリシアが僕のギリシアとして目覚めてくる。これは、僕の、男としてたちうる堅固な主張でなければならない。どのようなギリシアがあっても、僕には何の関係もない。僕のギリシアでなければならない。もちろん、Aがいなければならない。それは僕たちの、孤独な僕達だけの、ギリシアでなければならない。
なんて甘美な文章だろうか。
注目するべきは、「僕のギリシア」という言葉だ。この後、辻邦生先生は三つの原初的な体験により、文学的契機を迎えることになる。
(1)パルテノン体験
(2)セーヌ体験
(3)リルケ体験
このうち、(2)においては、ポンデザール橋上にたって、セーヌの流れるパリの街すべてが「自分のパリであり、セーヌである」という体験をすることになるのだが、この「僕のギリシア」という表現にセーヌ体験への萌芽を感じ取ることが出来るのではないだろうか。
そして、もうひとつ。「それは僕たちの、孤独な僕達だけの、ギリシアでなければならない」という言葉だが、「孤独」という言葉に注目したいのだ。この「孤独」ということは、「戦闘的」でポジティブな「孤独」なのだ。何かを産み出すための「孤独」なのだ。