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2003年12月12日

●バイエルン州立歌劇場前


(11月19日)
朝起き出して、街を散歩する。冬のドイツは絶対に曇りだと思っていたのだが、ミュンヘン地域はスポット的に晴れの区域に入っているようで、極めてよい天気。ヨーロピアンスカイだ。マクシミリアン通りはブティックが並ぶハイソな地区で、バイエルン州立歌劇場も鎮座する。すれ違う年配の女性の品のよさ。男性のおしゃれなこと。日本のくたびれた雰囲気とは全く違う。人とすれ違うだけで幸福感を覚える。単なる権威主義なのか?いいや、違うだろう。生き方のスタンスによるものだろう、品のよさや、洒落た服を選ぶ、という行為は、人間らしく生きることへの意志の表れだ。経済的余裕があるから、といわれるかもしれないが、経済的余裕があったとしても、品のよさが伴わない、というわけではない。逆に経済的余裕がなくとも、なぜかこの品のよさ、洒落た感じというのを感じる。

僕にはこの違いがまだ理解できない。

(写真はバイエルン国立歌劇場正面)

2003年12月08日

●辻邦生 「パリの手記(3)」

パリの手記を読むと、若い頃の辻先生の思いが伝わってくる。32歳の頃、だから、僕とあまり変わらない年齢ということになる。

パリはリヨン駅について、タクシーでぐるぐると夜のパリを走り回った記憶。アノニムなどこか知らない大都市を走り回っているだけで、ここがパリではないだろう、というエピソード。

どこをどう走っているのか分からないという感じは、全く変なものだ。現実感が全くなく、文字通り、夢の中にいるみたいだ。暗い夜更けの町を、どことも知れず、さまよっているようだ。それはパリだかどこだか、全く見当がつかない。別なところかも知れない。別な所だっていいはずだ。つまり、今の僕には、これがパリだという根拠がどこにもないのだ。

(105ページ)

そして、そのうちに、ここがパリだ、ということが分かってくるのだ。いつものように。

昨年末、ちょうど1年前のことになるだろうか、シャルル・ドゴールからエールフランスバスにのって、辻先生と同じリヨン駅へと向かったことがあった。空港構内の交通事故による渋滞に巻き込まれ、長いあいだまたされながらも、僕は一人でバスの座席に座っていた。隣に、イギリスの老婦人が座っていたが、彼女と話すことが出来るわけもなく。高速道路を通過して、パリの街中に入るのだが、本当にリヨン駅に向かっているのかどうかさえも分からない。唯一の頼りは、隣の老婦人が知り合いとモンパルナスで待ち合わせをしようとしていることぐらい。このバスはリヨン駅経由モンパルナス行きだったのだから。堅牢な石造りの建物が増え、オレンジ色のマグネシウムライトの街灯がに照らされて、車が行きかう大通りを走っていると、突如として大きな広場に出る。そして中央には大きな像が。だが、それは僕の記憶するパリの地図には出てきていなかった。ここが本当にパリなのかどうか、いまだ分からないまま。そして、突然リヨン駅に到着する。ようやく、僕の地図と現実のパリが合致したのだった。


2003年12月07日

●辻邦生 「パリの手記(2)」

パリの手記 1 

フォーレを聞いたせいか、はじめて、ギリシアが僕のギリシアとして目覚めてくる。これは、僕の、男としてたちうる堅固な主張でなければならない。どのようなギリシアがあっても、僕には何の関係もない。僕のギリシアでなければならない。もちろん、Aがいなければならない。それは僕たちの、孤独な僕達だけの、ギリシアでなければならない。

なんて甘美な文章だろうか。

注目するべきは、「僕のギリシア」という言葉だ。この後、辻邦生先生は三つの原初的な体験により、文学的契機を迎えることになる。

(1)パルテノン体験
(2)セーヌ体験
(3)リルケ体験

このうち、(2)においては、ポンデザール橋上にたって、セーヌの流れるパリの街すべてが「自分のパリであり、セーヌである」という体験をすることになるのだが、この「僕のギリシア」という表現にセーヌ体験への萌芽を感じ取ることが出来るのではないだろうか。

そして、もうひとつ。「それは僕たちの、孤独な僕達だけの、ギリシアでなければならない」という言葉だが、「孤独」という言葉に注目したいのだ。この「孤独」ということは、「戦闘的」でポジティブな「孤独」なのだ。何かを産み出すための「孤独」なのだ。


●ミュンヘン空港への到着

(11月18日のこと)

 離着陸時のルフトハンザの機内灯は必ず落とされる。これはほかの航空会社では体験できないことだ。そして、今回のミュンヘン空港着陸時も同じだ。薄暗い機内は静まり返っていて、エンジン音でさえかき消されている。ふらふらとした緩やかな機体の動揺が、激しい同様に変わり、エンジンが甲高く逆噴射の開始を告げて、ようやく着陸したことが分かる。滑走路の端で減速を終了したエアバスが、ゆっくりとタキシングをはじめると、客室乗務員も席を離れ、ゲートへのセッティングの準備を始める。このとき、乗務員は上着を着けた正装となっている。隣の日本人女性は長距離フライトが初めてとのこと。真っ青な顔をしていた。英語もドイツ語もよく分からない彼女は、機内サービスでドリンクを選ぶにも苦労をしていたので少々助けてあげたのだが、別れ際に、お疲れさま、まだまだありますからお気をつけて、と声を掛ける。彼女達はスペインへと巡礼に向かうのだそうだ。今夜はミュンヘンでルフトハンザ機を乗り継ぎ、バルセロナへと向かうのだ。

 ミュンヘン空港は鉄骨が有機的にデザインされたロジカルな印象の建物で、とても静かだ。無駄なBGMや案内放送はない。電動荷物車が通るときに低いモータのうなり声が聞こえるぐらい。入国管理ゲートでも無事に通過。いつもながら入国管理官は無機質な表情で、ガムを噛みながらパスポートにスタンプを押す。彼らがスタンプを押すページはいつも適当だ。前のページから詰めて押してくれれば良いのに。僕の前に並ぶ日本人男性は、どうやら髪の毛を短く刈ってしまったようで、パスポートの写真とは似ても似つかぬ顔かたちになってしまっていたらしく、管理官が、本当にお前なのか、と問いただしている。最後は肩をすくめて、ガチャンとスタンプを押したのだが。

2003年12月06日

●ギャルソン!(1983)

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映画「ギャルソン!」を観る。この映画、イブ・モンタンが主演なのだが、恥ずかしながら僕はイブ・モンタンの映画というものをはじめてみた。連れによると、この人は全く違うタイプの演技も出来るとのことだが、「ギャルソン!」でのイブ・モンタンは、ダンディという言葉がぴったり。それも嫌味のない自然なもの。西欧人の立ち振る舞いというものは、実に洗練されている。勿論日本人とは全く違う意味で、だが。この西欧的な立ち振る舞いをよく味わうことが出来る。モンタン演じるアレックスの恋は短くはかなく消えて行く。だが、その恋自体幾重にも折り重なった恋模様のひとつでしかない。しかし、だ。こうして老年にさしかかろうとするアレックスがこうした恋模様を繰り広げることが出来ることのすばらしさ。勿論僕自身はそういう力を持ち合わせていないのだが、恋、あるいは愛情は、人間が生きるために必要な大切な要素だ。空気や水、食物とおなじぐらいに。それをストレートに表すことの出来る西欧という文明がうらやましくなった。
(★★★★☆)

2003年12月05日

●辻邦生「パリの手記」

このWeblogは幾つか意図があってはじめたのだが、そのひとつが、辻邦生についての自分の考えをまとめる場にしてみたい、という点。「辻邦生」なんて、書くのはあまりに恐れ多い。辻先生と書くことにしよう。何も媚を売るわけではなく、純粋な尊敬の念から、そう書きたいのだ。

辻先生は1925年に東京で生まれたわけだが、ちょうど32歳頃、1957年にパリへ留学される。このパリでの日記をまとめたものが「パリの手記」という形で河出書房新社から1973年に出版されている。今から10年前、高田馬場で下宿を始めたころ、明治通りから早稲田通りを東に歩いて始まる早稲田古本街で手に入れたこの本は、辻先生の著作の中でまだ読んでいないもののひとつだったが、いよいよ手をつけてみよう、と思ったのだ。これにはいろいろなわけがあるが、ひとつには某掲示板での辻先生をめぐる話題のなかから刺激を受けた、というところから。そしてもうひとつは、先日ドイツへ旅行した際、機上で数時間も辻先生のことを考え続けたというところから。

辻先生の著作について、自分なりの考えをまとめてみたい、と思う気持ちは何年も前からあったが、それを果たすことは出来ていなかった。もうそろそろ手をつけないと、一生後悔するに違いない。そこでこのWeblogをその場にしてみたい、と思ったわけだ。目下のところ、仕事は忙しく、緊張を強いられてはいるのだが(とはいっても、単なるサラリーマンなので、気楽なものである)、昔に比べて少々早く帰ることが出来るようになった。この状況がいつまで続くのかはさっぱり分からない。今のうちにやれることをやっておかなければ、というところ、なのだ。

「パリの手記」はこれまでもつまみ読みはしていたが、まとまってきちんと読む必要があるだろう。確かに「ソドムとゴモラ」もあるし、「ニーベルングの指環」も観なければならない。いくら時間があってもたりない。だが、やらねばならない。

2003年12月04日

●マイケル・H・ケイター「第三帝国と音楽家たち」

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マイケル・H・ケイター著、明石政紀訳 「第三帝国と音楽家たち」(アルファベータ)を読む。ナチス時代のドイツにおける、音楽家達のエピソードの数々。リヒャルト・シュトラウス、シェーンベルク、フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、クレンペラー、シュリーヒト、オルフ、プフィツィナーなどなど、戦時中のエピソードが多くつづられる。音楽を聴いているだけでは、完全なる人格を持っているようにも思える彼らの人間性が、ナチス体制下という極めて特殊な環境においてその本質が顕になるあたり、実に興味深い。リヒャルト・シュトラウスのナチスとの接近にこめられた真意、オルフの戦時中の事実、フルトヴェングラーの素顔、などなど。

作曲家達の素顔も明らかになるが、ナチス体制下のドイツの状況や、ヒトラー政権が音楽に対してはらった過大な関心が如何なるものだったのか、分かってくる。そして独裁政権が音楽を重要視することが古今東西共通していることも。ナチスのよりどころとするところが、「ドイツ的」な思想や音楽であるということもあって、音楽家や思想家などの文化人がナチスに過大な期待を表明してしまったあたりの事情、なるほど、という感じだ。