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2003年11月30日

●新国立劇場「ホフマン物語」(ホフマン物語再び)

今日は新国立劇場でホフマン物語を見る。ウィーンでたまたま桟敷が同じだった方は「トウキョウのホフマンではがっかりなさるかもしれませんよ」とおっしゃっていて、どのようなものか?と少し不安になりながら劇場へ向かう。今日は連れの体調が悪く少々気遣いながらの観劇となったが、思った以上に良い舞台だっただろう。
一番の収穫は、ニクラウス/ミューズのエリナ・ガランチャで、そのスタイルと美貌もさることながら、最も安定した声で全体を引き締めていた。演技も流麗。実にすばらしい。アントニアのアンネッテ・ダッシュも少々地味ながらも安定した感じ。タイトルロール、ホフマンのヤネス・ロトリッツは、前半は調子が上がらず、声も不安定で言葉がはっきりしていなかったのだが、徐々に調子を上げ始め、最後は実につやっぽい声が出始めていた。
フランツを歌った高橋淳は、少々大げさな演技ながらも、このユニークなクプレをよく歌っていたと思う。ここはなかなか楽しめた。
演出は実にモダン。光が生かされた演出。特にプロローグでの酒の精や、オランピア幕での衣装などでは蛍光色が効果的に使われていた。プロローグ、エピローグに登場する時計もなかなか秀逸なアイディア。この時計は実際の時間を刻んでいる。プロローグでは21時をさしているのだが、エピローグでは24時前をさしている。つまり、このホフマンの物語るホフマン物語は3時間の実時間を持っていた、ということなのだ。
それから、もうひとつ。ステラは、アントニアの母とのダブルキャスト。このあたり、おっ、という感じ。アントニアの母は高名な歌手とされているが、それとステラを重ねてくるとは…。なかなか面白い。
エピローグの最後、ホフマンはピストル自殺をしてしまう。こうなると物語は変わってきてしまう。詩人としてよみがえれ、とミューズは歌うが、ホフマンはどのように救済されるべきなのだろうか?ウィーンで見たときは、ホフマンはひたすら詩作に励み、原稿用紙に何枚も何枚も書き散らす。それを酒の精が拾い集める、という演出だった。どちらに説得力があるのか?
最後はエーザー版による壮大な幕切れで、これはウィーンでも同じだった。予習に使ったクリュイタンス盤もDVDのプレートル盤(DVD)もこれがなかった。やはり大合唱による幕切れのほうが説得力がある。

カーテンコールでは、フィリップ・アルローも登場。登場した瞬間、おー、という歓声が上がる。日本人はやはり権威や欧州には弱い(?)

そんな風で、なかなか良い気持ちで帰ってきたのだが、帰りに新国入り口のショップで不愉快な客を見かけてしまい、興ざめしてしまう。いい年をした老男性が若い女性店員に言いがかりをつけて食って掛かるとは…。そして商品を投げつけるとは…。1800人もいればいろんな人が見に来ているのだろうが、もう少し紳士的に振舞ったらどうだろう?よっぽど、注意してやろうか、と思ったほどだ。年齢を重ねたことには敬意を表するべきだが、敬意を表されるためにはそれなりの義務を果たさなければならない。

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